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給与を上げても勤務医が辞める理由|彼らは医院の外で「手元を見てもらう時間」を自腹で買っています

給与を上げても勤務医が辞める理由|彼らは医院の外で「手元を見てもらう時間」を自腹で買っています

勤務医の定着に悩むと、まず給与を疑います。私もそうでした。でも数字を並べると変なことが起きています。歯科医院が教育に出すお金は年32.6万円。その勤務医は、自腹で65万円のセミナーに通っています。

給与の問題なら、こうはなりません。

マーケティングの世界では、顧客が口に出さない本音をインサイトと呼びます。厄介なのは、これは聞いても出てこないことです。なぜ買いましたかの答えに入っているのは、ほぼ建前だけ。勤務医も同じで、面接で口にする給与・休日・教育体制の3語は、嘘ではなく翻訳です。本音を口にできる語彙が、この業界にないだけです。

翻訳される前の本音は3つあります。順番に説明します。

本音1:手元を見てもらいたい

歯科診療所1件あたりの研究研修費は年間32.6万円、医業収入の0.48%です。収入上位20%の医院でも82.1万円で、しかも前年から12.5%減っています。同じ年に人件費は12.9%増えているのに、です。

一方で勤務医が個人で払うコースの相場。5-D Japanのファンダメンタルが65万円、JIADSのペリオ6か月コースが82.5万円で各期満席、東京SJCDのレギュラーコースは156万円で今年度は募集締切。アドバンスまで行くと170万円です。

医院が出す額の2倍から5倍を、彼らは黙って自腹で払っています。

何を買っているのか。知識ではありません。他人が自分の手元を見てくれる数時間です。

歯科の診療は個室で、ユニットに1人。院長は自分のアポで埋まっていて、勤務医の手技を見る人は誰もいません。患者さんの先生ありがとうも判定にはなりません。患者は技術を判定できないと、本人がいちばんよく知っているからです。

そして見てくださいとは言えません。5年目の歯科医師にとってそれは、たった1人の評価者に力不足を自己申告することだからです。だから外で買う。求人票の教育体制ありが刺さらないのは、彼らが欲しいのが教育ではなく観測だからです。

本音2:自分がどこまで来たのか知りたい

見てもらう先には、位置を知りたいという欲求があります。ここで歯科の物差しを棚卸しします。

まず開業。私は正直、勤務医は5、6年で開業して出ていくものだと思っていました。統計を開くと、29歳以下で開業している歯科医師は全国に32人、同年代の0.5%です。30代でも13.8%。2000年は30代の45%が開業していたので、四半世紀で3分の1以下になりました。新規開設の件数自体が1996年の半分で、2019年以降はほぼ毎年、廃止が開設を上回っています。

WHITE CROSSのアンケートで60代の先生がこう回顧しています。私たちの時代は、3、4年目での開業が一般的でしたね、と。あの常識は30年前のものでした。

次に資格。広告できる専門性資格を持つ歯科医師は全体の5.7%です。開業医や一般診療所の勤務医の手が届く範囲にあるのは、学会のインプラント専門医や歯周病認定医、あとはセミナーの修了証くらい。しかも学会資格が乱立しすぎて、整理するために専門医機構が作られたという経緯そのものが、業界公認の物差しが存在しなかったことの証明です。

最後に、一人前になったという実感。当事者が書いた一人称の記述を28件集めて、この瞬間に一人前になったと感じたという描写は1件もありませんでした。あるのは3〜5年で一通り、10年でようやく一人前という年数論だけです。同じ調べ方で、歯科衛生士では複数見つかります。

開業は遠のき、資格は物差しにならず、実感は誰も語れない。位置を知る手段が、この職業から消えています。だから彼らは数えられるものに逃げます。修了証、インプラントの本数、そして転職市場でつく自分の値段です。

本音3:恥をかかずに失敗したい

失敗の設計には3つの型があります。守られる型。医科は指導医の下で執刀し、旅客機は二人操縦で左席が引き取ります。恥をかく型。寿司職人は親方とカウンター客の前で失敗します。

歯科は第3の型です。守られてもいないが、見られてもいない。1年目から個室に1人。失敗しても誰にも見られない代わりに、成長も誰にも観測されません。

この欲求はいちばん口に出せません。詰まったときのフォローはありますかと聞くこと自体が、私は詰まる予定です、という自己開示になるからです。だから聞かずに入職し、詰まっても呼ばずに、黙って処置を進めます。院長から見える唯一の兆候は、質問が来なくなることです。手がかからなくなったのではなく、撤退が始まっています。

だから、歯科だけが判定されないまま辞めます

美容師は3年でスタイリストデビューし、副操縦士は機長昇格審査を受け、寿司職人はつけ場に立つ日が来ます。他の職業の若手は、到達したから辞めて独立します。

歯科勤務医だけが、到達したかどうか分からないまま辞めます。歯科医師の平均勤続年数は5.6年。医師7.5年、看護師9.4年、歯科技工士12.7年と並べて、医療系職種で最短です。

給与を上げても止まらない理由もここにあります。歯科では給与が唯一数値化された指標なので、年収を上げてほしいは腕を認めてほしいの翻訳語として使われます。実際、勤務医の不満は給与に集中しますが、満足の上位に来るのは同僚との関係とやりがいです。辞める理由と残る理由は、別の言語で書かれています。

私が大学でやっていたことの、本当の意味

私は口腔外科で、研修医が3か月で抜歯できるようになる仕組みを回していました。当時は教育プログラムのつもりでした。いま並べ直すと、あれは3つの本音を院内で満たす装置でした。

全例にフィードバックを付けた。これが観測です。麻酔、切開、骨削除、分割と段階を切った。これが座標です。交代の基準は処置時間30分超と分割が深すぎる、の2つだけにして、技量不足は交代理由にしなかった。代わられても恥にならない。だから研修医は全員納得していました。

高額な設備も外部講師も要りませんでした。要るのは、見る時間と、階段と、紙1枚の基準です。

医院に置くなら、この順番です

求人票の冒頭3行には、制度ではなく数字を書く。求職者の75%は求人票を数件しか見ず、検索一覧に出るのは冒頭30文字×3行です。そこで読まれているのは1日の担当患者数と、何か月で何を任せるか。実際、大手の教育プランはどこも同じ3段構成のなかで、唯一他院と区別がついた記述は1〜2年目は1日10名前後、3〜4年目は15名程度という診療数の明示でした。

到達表は年数ではなく症例と処置で書く。そして到達に対応する給与の幅を併記できないなら、作らないほうがいい。院長1,458万円に対し勤務医646万円という断層があるなかで年数表だけ渡すと、成長の地図ではなく天井の証明書になります。

基準はどこまでやったら交代ではなく、どこまでできたら任せるの側から書き、応募段階では出さず、達成のたびに次の1つだけ渡す。全部先に見せると、目標ではなく消化する要件になります。

そして記録は本人に返る形でしか貯まりません。院長への提出物にした瞬間、入力は止まります。

心当たりがあれば

  • 勤務医が自腹でセミナーに行っている。医院はその中身を知らない
  • 辞める理由が毎回キャリアアップのため
  • 最近、質問が来なくなった

このあたりに覚えがあれば、一度ご相談ください。自院の求人票の冒頭3行を見直すところから一緒にやります。

参照

厚生労働省「令和6年 医師・歯科医師・薬剤師統計」/「医療施設動態調査」/「令和5年度 歯科医師臨床研修修了者アンケート」/中央社会保険医療協議会「第25回 医療経済実態調査」/「令和6年 賃金構造基本統計調査」/積葉会計事務所「2024年決算データからみる歯科診療所経営実績分析」/日本政策金融公庫「2025年度 新規開業実態調査」


この記事を書いた人

楢原 峻(ならはら しゅん)

Innovation Careers Lab. 代表。歯科医師・歯学博士。口腔外科に12年在籍し、日本口腔外科学会専門医を取得。医局長・病棟医長として研修医教育と病棟運営を担当し、研修医が3か月で抜歯を担当できるようになる教育プログラムを設計・運用した。現在も臨床に立ちながら、歯科医院の組織づくり・採用・経営支援を行っている。有料職業紹介事業許可 40-ユ-301490。

楢原 峻

Author

楢原 峻

株式会社Innovation Careers Lab. 代表取締役

歯科医師 / 歯学博士 / 口腔外科専門医

長崎大学病院口腔外科で12年間、臨床・研究・教育に従事。医局長・外来医長・病棟医長を歴任。現在は歯科医院を中心に、AI・DX導入支援と経営コンサルティングを提供しています。