リスクという言葉を、私たちは一言で使いすぎていると思います。
成長の話でリスクと言えば、「取ったほうがいい」と言われます。世の中の成功者は冒険をして、大きな賭けをして、それで成功した。だから手を縮めるな、ただし分散しろ。ビジネス書にはそう書いてあります。私もそう思う場面はあります。
でも、医療におけるリスクは、まったく別の意味になります。
医療でリスクを取るというのは、患者さんに何かを賭けるということです。そして失敗すれば、取り返しのつかない損害を患者さんに与え、術者にも一生残る。ここでの「リスクを取れ」は、そのまま言葉にすると、かなり危険な話になります。
リスクは、立場によって全然違う。これに気づいてから、私は成功法則の類を素直に読めなくなりました。
PDCAを回せ、が医療者に効かない理由
同じことが「PDCAを回せ」にも起きます。
一般企業のPDCAは、実際には PDDDDDDDDDDCA だと言われます。Doを連打して、たまに振り返る。1回のDoが数万円、数十万円だから、回数で買える。失敗が安いんです。だから回数が学習量になる。
医療は、Doが1回しかありません。

失敗しても次があるという前提が使えない。PDCAを回す前に、Doのところで終わってしまうかもしれない。その後にCとAが来るはずなのに、Doの失敗によって、それ以降を遂行できなくなることがある。ガンガン回してDoの技術を上げればいい、と言われても、患者さんを実験台にすることはできません。
じゃあPDCAの失敗のところにいた患者さんは、どうなるのか。
これは日本の医療だけの話ではなく、世界の医療がずっと抱えている問題だと思っています。

医療者は、他人のDを借りている
では医療は進歩していないのか。していますよね。
どうやって回しているのか。
答えは、Doを自分で担当していない、です。
どこかの誰かが試して、うまくいった、いかなかったという結果が出る。
それが論文になり、学会で共有され、教科書に載る。
私たちはそれを少しずつ取り入れていく。
ゆっくりで、もどかしいけれど、それが医療の回し方です。
つまり医療のPDCAは、個人では完結しません。
回っている単位が個人ではなく、世界です。

私たちがやっているのは、誰かのDを借りてPを立てること。
そして自分のDの結果を、また誰かのPのために差し出すこと。
学会も症例報告も、そのための装置です。
ここまで来ると、医療者にとって「リスクを取る」が何なのかが見えてきます。
リスクを取るとは、馬鹿になること
医療者がリスクを取るというのは、新しいことを患者さんで試すことではありません。
知ったかぶりをしないことです。
どんなに立場が上になっても教えを乞う。
自分のやり方が正しいか、先人に聞く。
知らないことを、知らないと言う。
私が大学にいたころ、ある教授が他分野の先生に「へぇ、そうなんだ。今度教えてよ」と言っているのを見たことがあります。
あの立場で、周りに人がいる場所で、知らないと言う。
これ、かなりハードルが高いことです。
立場のある人が、知らないことを知らないと言う。噂されるかもしれない。あの人あんなことも知らないのか、と思われるかもしれない。
でも、これをやらない人は、他人のDを借りられません。

自分ひとりのDoは、一生かかっても限りがあります。世界のDoは、毎日膨大な数が積み上がっている。知ったかぶりをした瞬間に、そこへの回線が切れる。知ったかぶりは、謙虚さの欠如ではなく、学習の切断です。
医療者に取れるリスクは、たぶんこれだけです。患者さんには何も賭けない。賭けるのは自分の面子だけ。そして期待値は確実にプラスです。
それでも、最初のDは震える
借りたPで、それでもDは自分でやります。
最初は、がたがた震えます。手が動かない。頭が真っ白になる。
そして横にいる上級医が、平気な顔で補正してくれる。明らかにこちらの失敗を、何事もなかったように整えてくれて、患者さんは無事に終わる。
ああ、よかった、と思います。カルテ上は問題なし。誰も咎めません。
それなのに、その夜は眠れません。

教科書と違った。あそこは、ああするはずじゃなかった。もしかしたら、あの人にとんでもないことをしたかもしれない。
結果は良かったのに、眠れない。これが医療者のCheckです。数字でも評価でもなく、夜に来ます。
余談ですが、あの「平気な顔」は演技だと思っています。上級医が動揺したら、その研修医は二度と手が出せなくなる。平気な顔は、次のDを可能にするための機能です。
手術のあとに、CとAが残る
ここは、言葉を分けたほうがいいと思います。
術後の経過を見ることは、Cです。出血はないか。痛みはどうか。感染の兆候はないか。想定した経過をたどっているか。自分が行ったことの結果を確認する。
そこで問題があれば手を打つ。補液を変える。鎮痛を調整する。追加の処置をする。次の診療では同じことを起こさないよう、計画や手技を変える。これがAです。
つまり、手術はDで終わりません。DのあとにCがあり、その結果を受けてAがある。
ただし、どれだけCとAを重ねても、手術前の状態へ完全に戻せるとは限りません。次からは良くなる。二度と同じことはしない。でも、最初の患者さんに行ったDそのものは消せないことがある。
だから医療者に長く残るのは、Aという作業ではありません。自分が行ったDの結果を忘れず、その後のCとAから降りないことです。
臨床13年というのは、手を動かした回数だけではないと思っています。
忘れられずにいる回数でもあります。
だから、準備をさせる
私は大学で研修医に埋伏抜歯を教えていたころ、術前レポートを必ず書かせていました。どこをどう切開して、骨をどう削って、どう分割するかを、手術の前に紙に書かせる。書けない人には執刀させませんでした。
厳しくしていたわけではありません。紙の上でなら、失敗はいくらでもしていい。Pの段階でなら、PDCAは何周でも回る。
そして本当の理由は、その人が一生持ち歩くことになる「最初の患者さん」を、ひとりでも減らしたかったからです。
教育というのは、後輩が抱える負債を減らす仕事だと思っています。
そして、やりっぱなしを許せなかった
もうひとつ、どうしても許せなかったことがあります。
がんの手術は、切って終わりではありません。むしろ切ってからが長い。
術後の経過は、正直に言って、良くないことのほうが多いです。補液の管理、疼痛のコントロール、合併症、栄養、痰の吸引、リハビリ、そして家族への説明。数えきれないほどあります。夜中に呼ばれることも当たり前です。
もちろん、術後管理はチームで行います。若い医師や看護師に任せる仕事もあります。分担すること自体が悪いのではありません。
でも、分担と不在は違います。
それを全部、医局員に預けたまま、自分は戻ってこない人がいます。自分は手術だけ。あとは見ない。
家族面談にすら顔を出さない人がいます。切った本人が、です。
家族は、執刀した先生の言葉を待っています。同じ説明を若い医局員がしても、届くものが違う。それを分かっていて、来ない。
立場が上になるほど、これが起きやすい。偉そうにしている人ほど、そうでした。
切ったのは、あなたです。あとは見ろよ、と思っていました。
理屈で言うと、こうです。
手術は不可逆な行為です。 やり直しがききません。
可逆な仕事なら、途中で誰が引き継いでもかまいません。間違えても戻せるからです。でも不可逆な行為の結果に対する当事者責任は、実行した本人から動かせない。
術後の観察はCです。異常があれば対応するのがAです。その実務はチームで分担できます。でも、自分が行ったDの結果を見届ける責任まで、人に渡すことはできません。
患者さんの命は、手術が始まる前から執刀医の技量に賭けられています。その重さに比べたら、術後に病室へ寄ることも、家族の前に座ることも、余興のようなものです。本番を引き受けた人が、余興から逃げる。
それが、どうしても分かりませんでした。
執刀する資格というのは、技術だけではないと思っています。
Dの結果から逃げず、CとAまで見届ける覚悟のことです。
術前に準備をして、術後を最後まで診て、家族の前に座る。その全部を引き受けられる人だけが、患者さんの体に触れていいと思っています。
やりたいというだけで、準備をしていない人に執刀させなかったのは、入口の話です。やりっぱなしが許せなかったのは、出口の話です。私の中では、同じことを言っています。
そして気づいたことがあります。
知らないと言えない人と、術後を診ない人は、だいたい同じ人でした。
どちらも、自分に返ってくるものを引き受けていない。馬鹿になれない人は、結果を見る場所にも戻ってきません。
結果を見届ける責任は重いです。でもそれを引き受けないなら、患者さんの体に触れる理由がないと思っています。
終わらないのは、Aではなく責任だった
最後にひとつだけ。
この記事を書いたとき、私は「医療者のPDCAは、Aが一生続く」と考えていました。
でも、少し違いました。
術後を診ることはCです。問題に対応し、次へ生かすことがAです。そして夜になっても残るものは、CでもAでもありません。不可逆なDを自分が行ったという、当事者責任です。
その責任が残り続けることは、医療者にとって重い。でも、あれは呪いではなくて、安全装置だと思うようになりました。
忘れないから、二度としない。回数を重ねるだけでは手に入らない安全性を、私たちは「眠れない夜を捨てないこと」で買っています。
だから若い人に「気にするな」と言いすぎるのは、たぶん違います。
あの夜は、装置なので。
ただ、正直に言うと、私の中でもこの話に答えは出ていません。日本で最先端の治療をやるべきだとも思うし、それは外国のほうが進んでいるとも思う。誰かが最初のDを担当しないと、医療は進まない。でもその誰かの隣にいる患者さんのことを考えると、簡単には言えなくなる。
少なくとも、ひとつだけは言えます。
手術はDで終わりません。CとAはチームで行えても、切った人間が結果を見届ける責任から降りることはできません。
Author
楢原 峻
株式会社Innovation Careers Lab. 代表取締役
歯科医師 / 博士(歯学) / 日本口腔外科学会 口腔外科専門医
長崎大学病院口腔外科で11年間、臨床・研究・教育に従事しました。2020年から2023年まで医局長を務め、現在は歯科医院を中心に、AI・DX導入支援と経営コンサルティングを提供しています。

